むか新の歴史 HISTORY OF MUKASHIN

始まりは明治の
小さなむらしぐれ本舗でした

日本が異文化を取り入れ新しい時代へ進みはじめたころ、むか新は生まれました。
約130年、決して平坦な道ではありませんでしたが、みなさまの支えがあり、今まで続けることができました。
そして、これからも。100年、200年…この先ずっと愛されるお菓子を、むか新はつくり続けていきます。

1月、こがしバターケーキ20周年を記念し、新成人の方へお祝いとしてこがしバターケーキをプレゼントした。
2月、『第10回あのね文庫詩コンクール表彰式』を開催。
4月、モンドセレクション最高金賞を受賞。7年連続の受賞となる。
5月、ITI優秀味覚賞三ツ星を受賞。

4月、いずみさの日本遺産おみやげコンペ入賞の「食野長者小判 たまねぎサブレ」、「食野長者小判 フィナンシェ」を販売開始。
本銅鑼」がリニューアル。本銅鑼リニューアルを記念し、流行のマリトッツォをむか新流にアレンジした「どらトッツォ>」を販売開始し、メディアでも話題に。
7月、2022年のこがしバターケーキ20周年を記念し「焼きたてこがしバターケーキ工場直販」をスタート。毎月1回開催する。
9月10日(金)、新規事業「HUG BAKERY」をオープン。

開店前から多くのお客様にお並びいただき大盛況の中でオープンしたが、営業時間内でパンが無くなり閉店時間を待たずに閉店を余儀なくされた。

泉佐野の農家の方々に契約栽培していただいたもち米を皮につかい「いろは蔵」がリニューアル。
和歌山県九度山町奥いちご農園さんの苺をつかった「九度山いちご大福」、「九度山いちごロール」、羽曳野市G-Grape Farmさんのシャインマスカットをつかった大福「小林さんの想い」を販売。

地域の農家さんにご協力いただき、大切に育てた旬の果物をつかったお菓子づくりの取り組みが始まりました。

ANA FESTAさまとのコラボで伊丹空港ANA FESTA限定商品「大阪キャラメりんご」を販売開始。 「こがしバターケーキ」がリニューアル。
バターをつかった洋菓子ギフトがBAKED BUTTER CLASSICSとしてリニューアル。 「匠の小函」を販売開始。

コロナ禍で普段の生活が制限されるなか、むか新ではご家庭で季節のお菓子を楽しめる「おうちで手づくり月見だんご」の販売や、ドライブスルー販売、Ubereatsの開始などに取り組む。

むらしぐれ小函」が大阪産(もん)名品に認定。

大阪産(もん)名品とは、大阪における 伝統・物語性・地域性などの個性や特徴があり、名品としてふさわしいと認定 された商品です。 むらしぐれは創業当時から長らく親し まれているお菓子で、その歴史が認め られました。

「地元泉佐野 北庄司酒造さんとのコラボ 大吟醸酒粕生チョコ餅」、和歌山の人気カフェFAVORITE COFFEEさんとのコラボ「珈琲しぐれ」を発売。
4月、「宇治抹茶ミルク生チョコサブレ くぼ美」を関西国際空港、伊丹空港で販売開始。 「こがしバターケーキ」がモンドセレクション最高金賞受賞(4年連続)。

3月、和歌山神前店が開店。
こがしバターケーキ」がモンドセレクション最高金賞受賞(3年連続)。
泉州たまねぎサブレ」が大阪産(もん)に認定。
4月、「抹茶の右近」を販売開始。
6月、「檸檬の右近」を販売開始。

農作物や水産物など、大阪で豊かに獲れる食材や、それらを活かした商品として射手矢農園さんのプレミアム泉州たまねぎをつかった「泉州たまねぎサブレ」が大阪産(もん)に認定されました。

しょこら饅頭」を発売。

むか新のチョコレート饅頭「南蛮航路」をもっとおいしくしたい...その想いから生まれた究極のチョコレート和菓子。

「さくらの右近」を発売。

むか新定番のおまんじゅう「右近」に春限定の桜味が登場。さくらの右近から季節限定の右近がはじまりました。

7月、泉北店がリニューアルオープン。

泉州たまねぎサブレ」を発売。

甘さがちがう!地元泉佐野市、射手矢農園さんのプレミアム泉州たまねぎをつかいました。

10月、葛の葉店がリニューアルオープン。

3月、「銘菓いろいろ」販売開始。 「こがしバターケーキ」がモンドセレクション最高金賞受賞。 7月「、6代目向井新将が社長に就任。
9月、125周年記念銘菓「こがしバターの千年バウム」を発売。

六代目店主が北海道で修行していたときにみたバウムクーヘン。「いつかつくってみたい」そう夢をみて10年余り。
125周年を記念する銘菓として発売しました。
包装紙、手提げ袋のデザインも125周年を記念しリニューアル。

2月、堺福田店が開店。
こがしバターケーキ」がモンドセレクション金賞受賞(6年連続)・iTQi 優秀味覚賞3つ星受賞(4年連続)。

こがしバターケーキ」がモンドセレクション金賞受賞(5年連続)・iTQi 優秀味覚賞3つ星受賞(3年連続)。
こがしバターサブレ」を発売。
10月、富田林店が開店。

3月、河内長野店が開店。
こがしバターケーキ」がモンドセレクション金賞受賞(4年連続)・iTQi 優秀味覚賞3つ星受賞(2年連続)・DLG[ドイツ国際品質競技会]金賞。
10月、「ミルク金時饅頭ソーリャソーリャ」としてリニューアル。

創業120周年を期にロゴマークと手提げ袋、包材を一新。
120周年記念銘菓「チョコレート饅頭 南蛮航路」発売。
こがしバターケーキ」が3年連続モンドセレクション金賞受賞。iTQi 優秀味覚賞3つ星受賞。
CSR活動として、未来の子供たちへの社会貢献事業「あのね文庫詩コンクール」をスタート。

地域の子ども達の
豊かな表現力を育む活動

子ども達の豊かな表現力を育てる「あのね帳教育」の創始者である、泉佐野市出身の鹿島和夫先生監修のもと、泉佐野市文化振興財団と共催で「あのね文庫 詩コンクール」を開催しています。

11月、羽倉崎店がリニューアルオープン。

5月に再び「こがしバターケーキ」がモンドセレクション金賞受賞。
CSR活動として、地域の安全を願い「ひったくり防止カバー」の無料配布を行う。

1月、和歌山北店(和歌山市)を開店。
3月、JR大阪駅デザートテラス店を期間限定で開店。

4月、貝塚店(貝塚市)を開店。
5月、「こがしバターケーキ」がモンドセレクション金賞受賞。これを期に大阪土産として空港やサービスエリアでも販売を始める。
6月、本店がリニューアルオープン。
12月、もず店が移転し、開店。

2月、堺店を宿院通りに移転し、堺本館として開店。
11月、新工場竣工、稼働。最新鋭の設備を装備し、衛生レベルが格段に上がる。
大阪みたらしだんご」テレビCMはじまる。

コナズパパのプリン工房(泉佐野りんくう)開店。
プリンをはじめとする洋生菓子ブランドとして「コナズパパ」を立ち上げる。オープニングでは、とろろんプリンの生産が追いつかないほどであった。
この頃、駅前開発に伴い、昭和30年からつづいた駅前通り店を閉店。

10月、岩出店(和歌山県岩出市)を開店。和歌山県に初出店。

和泉の国3周年を記念して、店内工房SACCAISTUDIOオープン。焼き菓子の実演と「フィナンシェの販売を本格的に開始。
10月、「とろろんプリン」発売。
11月、3年の研究開発の末「むらしぐれ小函」発売。棹物が常識だったむらしぐれを切る手間なく食べられるように改良。
12月、金岡公園店(堺市)を開店。

4月、初のカフェ付き大型店舗、和泉の国本館(和泉市)を開店。いろはカフェを併設し、開店記念銘菓として「こがしバターケーキ」を発売。

11月、葛の葉店(和泉市)を開店。
この頃、和菓子のギフトブランド「泉州いろいろ」と、バター煎餅「食野長者」を発売。

本部棟と工場を泉佐野市羽倉崎に増築。
この頃、洋菓子のギフトブランドSACCAI誕生。

16世紀頃から始まった南蛮貿易当時を描いた絵には「SACCAI」と記されて貿易で賑わう堺港が見られる。当時の異国ロマンをお菓子で表現したブランドです。

4月、泉北店と堺店を開店。

堺店

もず店(堺市)を開店。堺市に初出店。
伊丹空港でも「「大阪みたらしだんご」を販売開始。

堺市に初出店となるもず店。

エアロプラザ店を開店。

エアロプラザ店

2月、久米田店(岸和田市)を開店。
9月関空店(関西国際空港2階)を開店。開港記念銘菓「「大阪みたらしだんご」発売。ユニークな発想は、多くのメディア等でも話題となり、大阪土産空前の大ヒット。関空土産ランキング1位になる。

関空店(関西国際空港2階)

4月、創業100周年記念銘菓として、泉州で古くから伝わるくるみ餅を缶入りにした「あぜ餅(缶入)」を発売する。贈答としても人気が高まった。
10月、泉南店(泉南市)を開店。

7月、阪南店(阪南市)を開店。
同じく7月、羽倉崎に第2工場を建設。衛生的な「どら焼き」の自動ラインを導入し、現在の「本銅羅」を発売する。

10月、岸和田店(岸和田市)を開店。

2月、工場を泉佐野市栄町から羽倉崎に新築移設。
同時に羽倉崎店を開店。
「スイートパルレ」を販売。のちの「こがしバターケーキ」の原型となる。

10月、熊取店(泉南郡熊取町)開店。
地域初の郊外店。開店記念銘菓として従来の最中を改良した「いろは蔵」は開店記念銘菓。

南海本線泉佐野駅前に本社ビルを構え「銘菓創庵むか新」と改称。お客さまにお茶出しを始め、本店の2階ではお茶や陶器の販売も始める。

南海本線泉佐野駅の本社ビル。

4代目新重郎の妻 房栄が急逝。
5代目向井新が24歳の若さで社長に就任。
泉大津駅ビル店を開店。

泉大津駅ビル店。

4代目向井新重郎が33歳の若さで急逝。
新重郎の妻 房栄が社長を引き継ぐ。

新重郎亡き後、妻房栄が社長を引き継ぎましたが、当時小切手の振出人が女名義ではなかなか信用されなかったため4代目新重郎の実弟啓次郎に助けを乞いました。

啓次郎は食への造詣が深く、料理人からも一目置かれていました。大阪市内の料亭などでは「向井さんの言うことはその通りにしろ」と店主が料理人に言い聞かせたと言う逸話も。

泉佐野駅前商店街に「駅前通り店」を開店。

時代を見据えた出店。

「月刊誌佐野」によると、これまで人の集まる場所は神社や寺の近くでしたが「これからは電車の時代」とあえて駅前に店を出しました。「佐野の関所」の看板を掲げた駅前通り店。郷土史家土丸屋常男氏いわく「駅前通り店では、むらしぐれ・千石・右近・長者饅頭・いろは最中(現、いろは蔵)が飛ぶように売れた」そうです。

4代目向井新重郎が「株式会社向新」として法人化。

4代目向井新重郎生まれる。「新」を重ねる意味で新重郎と名付けられた4代目は、度量の座った男であった。

2代目向井為吉が日根野郡佐野村(現、大阪府泉佐野市栄町)に「御菓子司 向新本店」として新築移転。

2代目 向井為吉

佐野駅の客車で向新の「村時雨」(現、むらしぐれ)を販売。

初代向井新與門(しんよもん)が佐野町(現、大阪府泉佐野市)で生菓子店を始める。
その後、向井家長男がむか新の経営者となり、名に「新」の字が付けられた。

昔は杉板で挟み、竹皮で包装したので、カビと乾燥が欠点でした。ナイロンで包んで蒸気殺菌するなど改良を重ね、近年ではエージレスを入れてカビを防止しています。

[出典]向井家永代過去帖

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