むか新と
千石船 MUKASHIN AND SENGOKUBUNE

郷土の豪商・食野家 郷土の豪商・食野家

むか新のある泉州泉佐野は、江戸時代のころは地域の発展が著しく、漁業や廻船業などの行き交う船で、たいへんな賑わいをみせていたといわれています。
廻船業では「食野家」や「唐金家」などの豪商を生み、中でも食野家は北前船交易などで巨富を築き、鴻池、三井家らと並ぶ全国屈指の富豪として知られています。食野家は大名の御用商人となり、諸国の米穀、豆類、雑穀、油、昆布、塩干魚類、肥料、木綿などの産物を取り扱いました。当初は瀬戸内海が商いの舞台でしたが、徐々に航路を拡大し17〜18世紀には秋田地方などに綿製品を運送するようになりました。往路では和泉産の木綿をはじめ、菜種油、酒、塩、砂糖、煙草などを運び、帰路はニシン、昆布などの海産物や北国米、小豆、肥料などを積み込み、巨大な利益を得たと言われています。
このときに活躍したのが「千石船」と呼ばれる大型廻船です。こうして食野家は、千石船をはじめ120隻以上の船を所有し、海運業で勢力を広げました。交易は本土沿岸諸国はもとより蝦夷・松前・対馬にも及んでいたようです。

このときに活躍したのが「千石船」と呼ばれる大型廻船です。こうして食野家は、千石船をはじめ120隻以上の船を所有し、海運業で勢力を広げました。交易は本土沿岸諸国はもとより蝦夷・松前・対馬にも及んでいたようです。

郷土の豪商・食野家 郷土の豪商・食野家

食野家と「時雨」 食野家と「時雨」

食野家と「時雨」 食野家と「時雨」

江戸中期、食野家に使えていた商業使用人が、奥州から持ち帰った小豆を使用した蒸し菓子をつくり、主人である食野次郎左衛門元琅にお出したところ、主人は淡白な風味が気に入り、客人へのお茶菓子として出すようになりました。
それが泉州銘菓「時雨」のはじまりと言われています。
そしてあるとき、病に伏せていた領主さまへこの蒸し菓子を献上し、召し上がって快方へ向かわれたことから「時雨」という名を賜りました。秋の季節に降る時雨の雲に似て、手に持てばほろほろと粒が離れてこぼれる様は、そぼ降る雨の水滴を連想されるところから名付けられたと言われています。
むか新では、この郷土銘菓を「村時雨(むらしぐれ)」と名付け、明治二十五年より製造。今も愛されているお菓子のひとつになっています。

むか新と千石船 むか新と千石船

むか新と千石船 むか新と千石船

むか新は、郷土の歴史の象徴とも言えるであろう千石船(大型廻船)を、それぞれ大きさは違いますが各店に1艘ずつ飾っています。それは、「和菓子を通じて泉州の歴史の語り部に」という想いの表れでもあります。当庵を代表する銘菓「千石」(せんごく)は、この千石船の名に由来した商品です。北前千石船の積荷であった米俵をイメージした形になっています。
現在、むか新に飾ってある千石船の中で一番大きなものは、和泉の国本館にある全長3メートルの北前千石船。この北前千石船は日本一船匠と称された野田房吉氏の遺作の一つです。野田房吉氏は和船の歴史を世に遺したい一念から昭和26年「和船研究所」を設け、寝食を忘れて模型作りに捧げ尽したと言われ、その一生は利害を超越した名人気質な生き方でした。野田氏の遺作は現在東京大学・神戸商船大学・東海大学にも展示され、首相官邸をはじめ、米ハーバード大などにも寄贈されています。むか新はさまざまな方のご縁からこの北前千石船と出会うことができ、「向新丸」と命名して和泉の国本館内のプチ・ミュージアムにて展示しております。

SHARE!

TOP むか新と千石船